<第1回>マーケティング戦略の「進化の系譜」― フィリップ・コトラー教授の功績

鳥山 正博 氏  

鳥山 正博 氏  立命館大学大学院 経営管理研究科 教授 副研究科長

  • マーケティング

1. コトラー教授は「偉大なる統合者」

そもそも、マーケティング戦略の「進化の系譜」を語る上で、まさにマーケティング戦略という学問を生み出したフィリップ・コトラー教授のことを外して語ることはできない。

現在に至るまで、「マーケティングの通念」として語られている、コトラーマーケティング。その本質というのは、「偉大なる統合」であると考える。
普通学問の大家がいると、その人が作った理論で全てが語られるが、コトラーが作った理論というのは特にない。そもそも、学者がデビューする時とは、最初に専門書を上梓し、その専門性を訴求し、その後は業績をまとめて教科書を書くなどのステップを辿ることが多いが、コトラーの処女作は、『マーケティングマネジメント』という有名な教科書の第1版。初めから専門書で勝負をするのではなく、統合するという立場に立っていたのである。

当時はマーケティングという概念は非常に弱く、単なる実務家がやっているものという認識であった。宣伝は宣伝の実務家が、流通については流通の実務家が、そして商品開発もまた然り。そのような実務家たちが、培った実務的知見をビジネススクールで教えていた。即ち、最初は学問として確立されていた訳ではなかったのだ。

そんな「偉大なる統合者」コトラーの原点として、誰が彼の師匠であったのかは気になるところではある。彼には3人の師匠がいた。サミュエルソン、ソロー、フリードマンといった3人のノーベル経済学賞受賞者が彼の師匠として知られているが、その中でもとりわけ関係の深い師匠が、MITのサミュエルソン。サミュエルソンは、経済学を学んだ方にはよく知られた存在であるが、そのサミュエルソンが「教科書」を書いたことで、経済学界や大学というところに大きな影響力を持ったことを目の当たりにし、コトラー教授は最初から教科書を書くことによって、今まで実務的な専門家が断片的に言っていたことを一つの体系に整理しようという考えに至ったと推察する。

そこでコトラー教授は、セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニングというSTP。その戦略が固まった後に、4つのPという戦術を定め、コントロールするという「骨格」をつくり、その体系の一つひとつに、心理学的な知見や、統計学的な知見、経済学的な知見、組織論などを全部紐付け、実務を学問として昇華させていったのである。

 

2. 進化を遂げるコトラー教授のマーケティング論

実は、コトラー教授のマーケティング論は徐々に進化を遂げていることも注目に値する。コトラー教授が「マーケティング3.0」という著書を通じて主張したのは「ホリスティック・マーケティング」。ホリスティックというのは、全体論的なマーケティング。それまで彼が主張していたものは「インテグレーテッド・マーケティング」つまり統合マーケティング。

ホリスティック・マーケティングの中には四つの柱があり、その一つがインテグレーテッド・マーケティングであり、今までのSTPを使っている。2本目の柱が「リレーションシップ・マーケティング」。ここは二つ意味があり、一つは、マーケティングをバリューチェーン全体として見るということ、つまりどこまでを取引先に依頼し、どこまでを自分たちで行うかは可変であり、それを含めて戦略を策定する必要があるということ。価値を生みだすための「一連のリレーションの中のマーケティング」という意味合いであり、これは、水平分業的なプロセスが組めるようになってきたという産業構造の変化から来ていると推察される。

もう一つは、全てにIDが付いて個体が識別できることで可能になったマーケティング。CRMやデータベース・マーケティングなど時代によって言い方は異なるが、その二つをして「リレーションシップ・マーケティング」と位置付けた。

3本目の柱が、「インターナル・マーケティング」会社という組織は、一つの意思を持って動いている訳ではなく、その構成員にはきちんとコミットしてもらわなければならない。構成員が、そのブランドの価値を信じて初めて生活者にその価値を提供できるという考え方。最も良い例が、東京ディズニーランドやスターバックス、リッツカールトンなどだが、そういった企業は、構成員全員が、「我々のブランドとはこういうものだ」、「こういう世界観だ」と心の底から信じている。そのように末端まできちんと浸透させるために、内部に向けてきちんとブランドの信念等を伝達するための取り組みが非常に重要であるということを提唱し始めた。何故インターナル・マーケティングが昔に比べて重要になってきたかというと、産業自体がすごくサービス化したから。製造業であってもサービスが根拠になってきたということを背景としている。

そして4本目の柱が「社会的責任マーケティング」。それまで生活者は、メーカー自体が倫理的であろうとなかろうと、その商品が自分にとってさえ良ければそれでいいという判断基準で動くとされていたが、最近は「立派な志のある企業」「高潔な企業」であると、生活者の心は動くし、何かの拍子に化けの皮がはがれると、ブランドから離れていってしまうことになりかねない。社会の構成員としての責任ある行動が企業にも求められるということである。背後にはネット社会の進展により企業は何も隠せなくなったという構造変化がある。様々な不正や公害やブラックな職場についてネット上で内部告発されてしまえば企業はもはや止めようが無いのだ。

これら全てのマーケティング活動の幅と相互依存性に統一的視点で目を配り全てのプログラム、プロセス、活動を開発再設計すべきである、それが出来てこそマーケティング3.0に移行できるのだ。このようにコトラーは現代社会の構造変化に対応させてマーケティングの範囲を拡張し、再統合しているのである。

 

3. 「価値主導のマーケティング」へと進化

それらを一言でまとめると、従前はあまり考えてこなかった「価値主導」のマーケティング、即ちその会社が掲げるミッションやビジョン、その会社が関係している取引先、そして社内の人々もその価値の一つと考えるマーケティングの考え方「3.0」に至る中で主張の軸足を変えてきたと言える。

また、価値主導の「マーケティング3.0」ということを提唱する中で、改めて2.0、1.0とは何なのかということも同時に整理した。「マーケティング1.0」は製品中心のマーケティング、つまり、我々の商品は他社に比べてこんなに優れているというもの。そして、「マーケティング2.0」はもっと生活者志向になり、誰にとってどういう価値のあるものというポジショニングのマーケティング。それが3.0で価値主導になって、四つの柱になってというふうに変化してきたと説明している。全て取り込まれたので何でもありに見えてしまうという問題が多少あるものの、それでもそれぞれの時代で重要なことを全て見事に統合したと考える。

そして2014年のWMS(ワールド・マーケティング・サミット)においてはコトラーは「マーケティング4.0」を提唱した。これは、現代の先進国の生活者はマズローの欲求の5段階のうちの生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・尊厳欲求はもう全て満たされていて、今の生活者が欲しているものは「自己実現欲求」であり、そしてこれこそが先進国におけるマーケティングであると提唱しているものである。

しかし、「4.0」については筆者自身は今一つピンと来なかった。何故そう思うのかといえば、人間の価値観自体は、短期間でそんなに大きく変わるものではないと考える故である。倫理的なことより目先の満足と思っていた人間がそんなに急に倫理的になるわけが無い。確かに、マズローの生存欲求が満たされていない人たちに所属欲求やましてや自己実現欲求が生まれることは無いのは事実だが、そのレベルの人間の変化はそんなに早いものでは無い。所詮人間はそんなに簡単には変わらない。一方何が一番変わり得るかというと、やっぱりテクノロジーが一番変わり得るわけで。そのテクノロジーが変わると、そこに適応した人間もそれに応じて変わる程度に過ぎない。

さて先日WMS2015が開催されたが、案の定マーケティング4.0は姿を消していた。主な講演者の印象的な言葉を並べてみる。

「デジタル化するか死か」「マーケティングは資本主義のエンジンである」「ここ数十年間で経営者の報酬は一般労働者の40倍から300倍に拡大した。トリクルダウンすると言われていたが、そんなものは見たことが無い」 (フィリップ・コトラー)

「マーケティングのミッションはモノを売ることではなく、人々を幸せにすることである」「イノベーションのスピードはますます加速する一方なので、コア事業に集中するのは実は高リスク」「試行錯誤ができることが重要、成功や完成度にこだわり過ぎてはいけない」 (ロブ・ウォルコット)

「デジタル時代は顧客が”AlwaysOn”の時代」「企業はメディアのようにコンテンツを出し続けなければならない」 (モハン・ソーニー)

「デジタル化によりインテグレーテッドストラクチャーからレイヤードストラクチャーへ」 (根来龍之)

「イノベーションを加速するために、表彰、教育、ネットワーキングの3つが重要」 (トマス・クズマルスキー)

「スマホはアジアが先進地域である。繋がった顧客はかなり従来とは異なる」 (カリム・テンサマニ)

「日本が苦労しているのは、モノづくり時代に正確性が求められ失敗が許されなかったため、失敗を早期にして学ぶべきデジタル時代に必要な文化の正反対になってる」 (ポール・与那嶺)

 

どのセッションテーマでも繰り返し出てきたのが、ネット上の評判の構造があるから「エンゲージメント」や「アドボカシー(=ファンにすること)」が重要で企業はストーリーを語り、より良い社会をつくる積極的な担い手にならなければならないというトーン。ソーシャルメディアがいかに消費者を変えたか、その中で従来型のマーケティングをしていたらいかにダメになるかを異口同音に語っていた印象が残っている。マーケティング4.0をうっかり唱えてしまったコトラーの軌道修正の柔軟さも御歳84としては大したものだとも言える。

そもそも筆者自身の持論は一貫して、マーケティングの変化というのは生活者の変化と、それから供給者側の変化、つまりメーカーや流通、そしてその両方を支えているテクノロジーの変化がそうさせるものであるというものであった。生活者の変化も供給側の変化も、一番根っこにある部分とは、実は「テクノロジーの変化」ではないかと考える。今回のWMS2015の通奏低音はそういうことでは無いだろうか。

 


>第2回に続く


鳥山 正博 氏

鳥山 正博 氏

立命館大学大学院 経営管理研究科 教授 副研究科長
国際基督教大学卒(1983)、ノースウェスタン大学ケロッグ校MBA (1988)、東京工業大学大学院修了、工学博士(2009)。1983より2011まで(株)野村総合研究所にて経営コンサルティングに従事。 業種は製薬・自動車・小売・メディア・エンタテインメント・通信・金融等と幅広く、マーケティング戦略・組織を中心にコンサルテーションを行う。とりわけテクノロジーベースのマーケティングイノベーションと新マーケティングリサーチインフラの構築が関心領域。

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