信頼される法人

無限の選択肢を前に、私たちは覚えず腕組みをする。

レビューの星の数に従えば、欲するものに行きつくとは限らない。大勢が良いと言った平均値は、実際の価値からも、自分が本当に欲したものからも、乖離することが常である。だから、任せたい。信頼出来る企業に任せることで、情報と選択肢の無限地獄から脱したいのである。

そして、市場には、信頼できる会社と、そうではない会社がある。そして、人の世と同じく、信頼できる会社の方が、その数は少ない。だから、そのような会社に接したとき、私たちは尊敬の念と、深い結びつきを感じるのだ。では、どのような顔をすれば、消費者から信任・信託を受け得るのか。信頼できる医師のように、その商品分野を任せてもらえるのだろうか。

旅の仲間カント

ここで岩井先生との議論がカントに至ったのは、自然である。なぜなら、倫理について、経験主義的な教訓論に堕すことを潔癖に忌み、理性的に考えたのがカントであるからだ(注1)。彼は経験からのみ理論を導くことは、不可能であると言った。そして、理性的に考えたからこそ、彼の道徳哲学は、普遍性を持つ。彼が学問の理想としたニュートン力学と同じようにである。

それは、その適用範囲が人間に限らないほどの普遍性を持ち、理性的な存在であれば、人であろうと、法人であろうと、宇宙人にもその道徳哲学が適用される。

どうすれば信頼される法人になるのか、カントの道徳哲学からのヒントは、経験と理論をごちゃ混ぜにした事例研究からは得られないものである。

岩井先生は、カントの次の言葉を引かれた。

「自分及び他人を単に手段としてではなく、少なくとも単に手段とするのではなく、目的としても扱わなければならないということ」

カントの道徳哲学の数少ない前提の1つは、理性的な存在は、幸福を求めて生存するという目的を、生まれながらにして持つということである。だから、他人を手段として「のみ」扱ってはならない。客を利益を得る手段としてのみ考える企業は、客からの信頼を得ることはない。私たちが目的を持つ存在であるという前提を、踏み外しているからである。利益のみを追求する医者に、己の身体を任せるものはいないことと一般である。

ジョブズが客を利益を得るための手段としてのみ、考えただろうか。いや、そうではない。少なくとも、そうではないように、1人の客としての私には感じられる。

逆に、信頼できない会社を思い浮かべてみる。経営者がどんなに高尚な哲学を語っても、その会社が実際には客を利益の手段としてのみ考えていることは、すぐに知れる。それは商品自体、その広告、従業員の態度から、瞬時に察せられる。「そっちがその気なら、こっちも上手く使ってやろう」という気にさせ、信頼することを難しくする。

歴史と経営者

ただ、ここに非対称性がある。信頼できない企業はすぐに分かるが、その反面、信頼できる企業かどうかは、簡単には分からない。なぜなら、営利企業は利益を生むことを目的の1つとして持つからである。

「結局、儲けのためなのではないか」という消費者の勘繰りを超え、信頼を勝ち得た企業は、どのように伝えたのか。先生はこう仰った。

「それは歴史と経営者が大きいと思います。経営者がある面で非常に独立した哲学を持っているとかね。そういうのが案外重要かもしれないね」

先生はジョブズや日本の小倉昌男さんに言及された。「独立した哲学」とは、すなわち「利」から独立した哲学である。カントの言葉に沿って言うなら、法則(哲学)をそれ自体として志向することだけが、価格に還元できない尊敬を生む。別の目的(「利」)のための手段としてではなく、哲学そのものをその価値ゆえに志向する意図こそが、消費者からの尊敬を生むのである。ジョブズは、「利」を得る手段としてではなく、「機械と人間との豊かな関係」という哲学を、それ自体が価値あるものとして志向したのである(注2)。

そして、その経営者の意図が表出した例として、従業員(トヨタの真面目な従業員)、社是(住友財閥の「浮利を追わず」)にも先生は触れられた。企業によって、信頼を勝ち得るために使える要素、接点は異なる。ただ、それを消費者に記憶させる手段として、物語については、特に重点を置いて先生は話された。

「その会社にまつわる神話、ストーリーというのがあったら非常に大きいと思います。そうすると会社というのは、本当に物語の主人公として、それは我々が小説を読んでね、有名な小説の主人公について、本当に生きた存在のように我々は語るわけだけど、それと同じようなこと。いいストーリーを作るとか、いい自伝を作るとか、人間っていうのは自伝ですよ、ほとんど。それを会社も持つというのは非常に重要かもしれない」

人は情報を記憶する際、物語の形を取って来た。琵琶法師に人は垣をなし、南米のアマゾンでは、星の下で「語り部」を囲む(注3)。仏陀にせよ、キリストにせよ、彼らの経典は物語形式であり、その教えが箇条書きになっているわけではない。それが感情を掻き立て、もっとも記憶に残る情報のインプットの仕方であるからだ。客を利益として「のみ」みるのではなく、目的を持つものとして尊重する企業の意図は、物語を通して語られた場合、もっとも深く記憶される。

ここで先生は、売り手と買い手とが共同で創るストーリー、つまりコンテクストへと論を進められた。それは、客との信頼関係をさらに強める方法である。カントの哲学から、居酒屋へ。暖簾をくぐれば、そこには、グーグルの逆説がまた顔を出す。

居酒屋モデル

「日本の居酒屋とかバーとかね、イタリアであればバール。私はあまりバーには行かないんだけど、行くとママさんがいて、マスターがいて、そしてお客さんがいて。それである面でカウンターの向こうとカウンターのこっちが、いつの間にかある程度垣根が取れている」

私は初め、先生が突然仰った「居酒屋」という単語に少なからず驚いた。カントの先に居酒屋が現れるとは。

「日本の居酒屋のような、ある意味でお客さんが店のコンテクストづくりに積極的に関わるというような、そういうお客さんをインボルブする仕組み。昔からある商売のやり方だけれど、売り手と買い手がどこかで共同のコンテクストを共有するような仕組み、それをうまく作れるかどうかというのが、かなり重要になっているのではないか」

ここで先生が念頭に置かれたのは、『会社はこれからどうなるのか』の「組織特殊的人的資産」である(注4)。コンテクストにも「組織特殊的人的資産」にも共通するのは、その資産が、売り手と買い手のどちらの所有物でもないという点にある。つまり、どちらかが消えれば、共有した価値も消えてしまうものである。

コンテクストとは、con-textureであり、語源をたどればto weave togetherである。売り手と買い手、互いの自伝が経緯の糸となり、織物のようにどちらの所有物でもない「共通の記憶」を作り出す。それがコンテクストである。

それを作り出す仕組みに企業が注力することは、自分の所有物ではないものに投資をする面を持ち、「資本主義的でないもの」を標榜することになる。そこに「利」のみを求めない会社の顔が現れ、信頼が生まれる。客はその会社との交換を望むようになる。グーグルの逆説がここでも強められるのである。

コンテクストの作り方

この「居酒屋モデル」の成功例として、スターバックスを取り上げる。コーヒーの匂いの中、「共通の記憶」としてのコンテクストが編まれている。カントが言うように、事例とは、そこから理論を導くものではなく、理論を伝えるために用いる場合にのみ価値を持つ。

コーヒー豆の質も、その店舗も、イタリア風の商品名も簡単に模倣される。雇用形態のような仕組みも同様である。スターバックスが競合に差をつけているのは、その従業員においてである。では、スターバックスの店員が、他の同業者と印象が違うのは、なぜであろうか。

それは従業員が顧客を記憶することにオープンだからである。そして記憶していることを客に知らせる些細な会話をするからである。「いつも朝お早いですね」「スコーンは温めず、そのままお出ししますね」。自分の過去を店員が知っていること、そして彼女が知っているということを、また自分が知ること。お互いが「共通の記憶」を持つことを確認し合うことで、コンテクストが表出する。自動販売機のように客を扱う店と、互いの「共通の記憶」を作り出す店員のいる店、どちらに信頼を置くかは明白である。

そして、このコンテクスト作りは、必ずしも従業員を持つサービス業に限られたものではない。売り手と買い手が「共通の記憶」を編むことは、ウェブにより容易になっている。

アマゾンのカスタマー・レビューもその一例である。「あなたのレビューを28人の人が参考になったと答えています」と表示された時、その本を読んだ記憶は自分の日記に付けた読書日記とは異なる価値を持つ。そこではアマゾンとの交換の場に、他の客が現れ、互いの自伝が織り合わされる。結果、仕組みをもたらしたアマゾンと強い結びつきが作られる。

利益「だけ」を追求する企業ではないことを物語で伝え、信頼を得る。そして「共通の記憶」であるコンテクスト作りに投資し、その信頼を強める。ただ、それだけでは、特別な会社にはなれない。その会社との交換が熱狂を生み、夜中から新商品を待ちわびて、街灯の下に並ばせることは出来ない。マニアを生まない。

どうすれば消費者から信任・信託されるだけでなく、特別な会社となれるのだろうか。ジョブズが一代で築いたアップルが、「アップルマニア」を生み、世界中の消費者にとって特別な存在となったようにである。

漱石の理想

先生は、こう仰った。

「法人も目的を自分で創れる存在として法人があるというふうに、買い手側が思うレベルに来た時に、これが1つの会社が通常の会社からワン・ノッチ上がる会社になると思うんですね」

目的を創るとは、人々に「新しい価値」をもたらす存在になることである。そして、その価値を実現するべく、ビジネスを行うことである。カントの言葉を用いれば、「普遍的立法者」となり、同時にそれに「従うもの」になることである。これが熱狂(マニア)を生む。

グーグルであれば「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」を目指し、ジョブズのアップルは「リベラルアーツとテクノロジーの融合」を社会にもたらすこと自体を志向した。

これは、夏目漱石が理想と言ったものに他ならない。107年前の4月、上野の美術学校で、漱石はこう言った。

「理想とは何でもない。いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答案に過ぎんのであります。画家の画、文士の文、は皆この答案であります」(注5)

「どう生きるべきか」という人間の唯一の問題に、新しい答案を与えるからこそ、縁側で昼寝をしている文士は、派手に馬車を乗りまわす大臣や豪商に劣らない仕事であると言ったのだ。無限の選択肢の中で、特別な交換相手になるためには、熱狂(マニア)を生むためには、漱石と同じ仕事が必要とされる。

「新しい価値」をもたらす会社が強く欲されるのは、理性的な根拠を持つだけではない。人は頭だけでは熱狂しない。「新しい価値」を志向する会社が、居ても立ってもいられないほど人をワクワクさせ、熱狂(マニア)を生むのには、生物学的な根拠がある。

ヒトという動物は、「世界の新しい解釈」をもたらすものに、強い快感を持つような脳(古代脳のSEEKING回路(注6))を進化の遺物として持っている。既存の世界を新しく見せ換える「伝道師」の話を聞くとき、私たちは生物学的に強い快感を覚えるのである。

ビジネス書で語られないもう1つの要素、「ヒトの感情」について、それが次の話。

(2014年4月23日 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー オンライン 掲載)

【注】
(1)カント「人倫の形而上学の基礎付け」中公クラシックス、および岩井克人「資本主義から市民主義へ」新書館
(2)JobsによるiPad launchにおけるKeynote Speech, Apple
(3)バルガス・リョサ「密林の語り部」岩波文庫
(4)岩井克人「会社はこれからどうなるのか」平凡社
(5)夏目漱石「文芸の哲学的基礎」講談社学術文庫
(6)Jaak Panksepp, “The Archaeology of Mind”, W.W. Norton and Company
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※本連載はDIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー オンラインに寄稿した内容を転載しております。